ヨセミテ国立公園での休暇 その7 自然保護の父–John Muir その2 ヨセミテ峡谷の形成

Last Updated on 2024年12月27日 by 成田滋

話題は少し前後します。掲載の順序を間違えました。

ミューアは、金属部品工場で事故にあい、殆ど失明しそうになります。幸い治癒してから次のように怪我を述懐しています。
God has to nearly kill us sometimes, to teach us lessons.
「神は時として人々を殺めようとするが、同時に教訓を与えてくれる」

仕事を辞するとミューアは徒歩でインディアナポリスからメキシコ湾(Gulf of Mexico)へ向かいます。さらにブラジルのアマゾン川流域の熱帯雨林を目指そうとするのですが、病のため断念しニューヨークへ行きます。そこから船でパナマ(Panama)へ、さらに船と汽車でサンフランシスコ(San Francisco)にやってきます。

サンフランシスコでのエピソードです。一人の大工と出会い「このごみごみした街から逃れるにはどの道をいけばよいか?」と尋ねます。「どこへ生きたいのか?」と大工が云います。ミューアは「どこか自然の豊かな所だ、」と答えたといいます。

それから数週間をかけて歩きながら、見事な大自然と出会うのです。1868年、ミューアは始めてヨセミテを訪れます。一週間の滞在だったのですが、翌年再び訪れて林業の仕事を見つけます。さらにシェーラネバダ(Sierra Nevada) 山脈のふもとにあるトールムネ平原(Tuolumne Meadows)にて、月30ドルで2,000頭余りの羊の放牧を手伝います。その間、多くのスケッチ画を残し、”My First Summer in the Sierra”という最初の本を書きます。間もなく、ヨセミテ峡谷のヨセミテ滝の側にあった製材所で定職に就きます。それ以来、ヨセミテ峡谷の自然との生活が始まります。

当時の著名な地質学者達は、ヨセミテ峡谷は地震によって形成されたと主張していたのですが、ミューアは氷河によって削られてできたと反論します。この主張はやがて認められるという有名なエピソードが残っています。
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